今年のチャンピオンズカップは、昨年の1,2,3着
と同じという珍事で、坂井瑠星騎手が乗ったレモンポップ
が1着となった。
2着に入ったウィルソンテソーロが猛烈な勢いで迫って
来ていたが、スタートよく飛び出し、そのまま前残りで
鼻差でのゴールであった。
レモンポップはこのレースで引退を決めていた為、
坂井騎手にとってはプレッシャーだったと思う。
このレモンポップ、元は戸崎騎手が乗っていたのだが、
’23年フェブラリーSで、戸崎騎手に先約の馬がいた
為、坂井騎手に乗り代わっていた。坂井騎手はこの
チャンスを活かし、見事勝利を収める。以後海外遠征
で惨敗したものの、国内では無敵のダート馬となった。
坂井騎手は現在G16勝だが、内3勝はレモンポップ
でのもので、坂井騎手にとって忘れられない1頭と
なったに違いない。
ジャパンカップの時にも書いたが、坂井騎手と同期
の騎手の一人に藤田菜七子元騎手もいた。
同期の仲はすごくよいようで、坂井騎手、萩野極騎手、
菜七子元騎手の3人でインタビューを受けた記事も
掲載されている。
この中で語られているのが、坂井騎手は同期が一目を置く
程ストイックである、ということだ。この辺りはルックス
も何となく似ている羽生結弦氏に似ている気がする。
デビューして間もない’17年にはオーストラリアに渡って
1年間武者修行して腕を磨き、’19年頃から徐々に重賞レース
に名を連ねるようになった。(菜七子元騎手、武者修行とは
こういうことを言うのですよ・・・)
坂井騎手は’22秋華賞でG1初勝利、続いて朝日フューチュ
リティでも勝利を挙げ、レモンポップの騎乗へとつながって
いった。
菜七子元騎手も坂井騎手のG1勝利を称え、「私も負けて
いられない」と決意を新たにしたようだ。
坂井騎手の父は大井競馬の元騎手で現在調教師、叔父も
笠松競馬の元騎手で競馬一家のようだ。育った環境が
全てではないが、菜七子元騎手は競馬とは無縁の家庭に
育っている為、それだけでもかなり差がついてしまうと
思うが、その逆境をバネにして現在の地位までたどり
着いた事は間違いなく称賛に値する。
そんな菜七子元騎手や坂井騎手に憧れて、競馬学校に
入学し、未来を夢見る生徒がいるのだ。
ただ菜七子元騎手に一番足りなかったのは坂井騎手の
ような「ストイックさ」だと思う。
人気先行であったが故にJRAのマスコットにされ、騎乗
依頼を得る為に自ら営業に出向き、そしてレースに出場
する、という坂井騎手とは違う立場での苦労はあったと
思うが、特に成績が下がり始めた’22年以降は言葉とは
裏腹にどこか気が緩んでしまってはいなかっただろうか?
もしくは、焦りと不安で浮足立ってはいなかっただろうか?
結果的にその気の緩みや焦り、不安などが原因で今回の事件
を引き起こしてしまったのだとすれば、ただただ残念である。
折角成長著しい坂井騎手が同期で、しかも仲がよかったのに
彼に色々聞いて、また彼をお手本にして自分を見つめ直すこと
は出来なかったのだろうか?
騎手を引退した菜七子元騎手は今回の坂井瑠星騎手の活躍
を見届け、以前のようにお祝いのメッセージとか送ったり
したのだろうか?そして坂井騎手は菜七子元騎手に対して
今どんなことを想い浮かべているのだろうか?